为何《ICO》减少台词、《异界(Another World)》去掉UI?埃里克·沙伊×上田文人谈超越游戏“功能”的感动追求
なぜ『ICO』は言葉を減らし、『アウターワールド』はUIを消したのか? エリック・シャイ×上田文人が語る、ゲームの“機能”を超えた感動の追求
埃里克·沙伊与上田文人在东京日仏学院“The Tenth Mosaic”对谈中,探讨《ICO》减台词与《アウターワールド》去UI的非语言表达。两人因技术限制与沉浸感优先而弱化文字与界面,以动作与环境传递情感。
2026年9月22日と23日、東京日仏学院にて「The Tenth Mosaic」が開かれました。
このイベントは、欧米では第十の芸術とも呼ばれるようになったゲームをテーマに、さまざまなクリエイターがコンテンツを展開するというもの。
こちらで『アウターワールド(原題:Another World)』のエリック・シャイ氏と、『ICO』や『ワンダと巨像』の上田文人氏による対談が行われました。その模様をレポートします。

それぞれの作品との出会い
まずは、エリック・シャイ氏と上田文人氏が、お互いの作品を知ったきっかけについて語りました。
上田氏は大学時代にエリック氏の存在を知り、友人の家でスーパーファミコン版の『アウターワールド』を遊んだことが最初の出会いだったと振り返ります。ゲーム終盤では、最後の一歩手前の場面で友人に助けてもらいながらクリアしたことも印象に残っているそうです。

一方、エリック氏は1983年からクリエイターとして活動しており、『アウターワールド』以前からゲームを制作していたと説明しました。その後、『Heart of Darkness』を手掛けたあとに『ICO』を勧められ、そこで上田氏の作品に触れたといいます。
特に印象に残ったのが、ICOとヨルダの関係性でした。エリック氏は、2人が手をつないで歩いていくという仕組みに強く惹かれたと振り返り、2000年頃に『ICO』をプレイしたことを明かしました。

上田氏は、『アウターワールド』でもレスターと異星人とのあいだの関係性について触れます。この点について、『ICO』が『アウターワールド』を参照していると気づかれなかったかとエリック氏に訊ねます。これに対してエリック氏は、むしろ自身の『Heart of Darkness』に登場する「影」の存在のほうがより直接的に影響を受けたのではないかと訊き返しました。
上田氏は『Heart of Darkness』の影を参照したことを認めつつ、自身が『アウターワールド』の関係性を追求するとしたらどうなるのかを考えた際に、「手をつなぐ」という発想が出てきたのだと説明しました。

作品を生み出すインスピレーション
続いて、2人がどこからインスピレーションを得ているのかについて話題が移ります。
エリック氏は、ゲームだけではなく、さまざまな外部の作品から影響を受けていると説明しました。初期にはアーケードゲームに触れ、その後は『スター・ウォーズ』などの映画、鳥山明の「ドラゴンボール」やファンタジックなイラストなど、さまざまなものが自身の中に蓄積されていったといいます。
『アウターワールド』についても「ドラゴンボール」から受けた影響として、火山や砂漠などを挙げました。一方で『ペーパービースト』では、生態系との関わりを目指したと説明しています。時代を経るにつれて影響を受ける範囲は広がっていき、ゲームでは『カラテカ』からも影響を受けたと語ります。

上田氏は、自身の場合、作品ごとにインスピレーションの源は異なると説明します。ほかのゲームを見た際に「自分だったらこうするのに」と考えることも重要だと語りました。映画やゲームのティザー映像などを見た際に、「これはこういうものなのではないか」と自分なりに想像することがあると説明しました。実際には想像と異なっているかもしれませんが、その想像をさらに掘り下げていくことが重要だといいます。
『アウターワールド』が与えた衝撃
上田氏は、『アウターワールド』を初めてプレイした際の衝撃についても振り返りました。
画面の中に、本当に「世界」が存在しているように感じたといいます。上田氏にとって、それまでのゲームでは、画面に表示されている要素の背後には数字や機能を満たす条件のようなものが存在しているように感じていたそうです。たとえば、敵を倒せば何点もらえるといったゲーム的な仕組みです。しかし、『アウターワールド』をプレイしたことで「ゲームはルールだけで作らなくてもいいんだ」と悟りました。

また、一般的なゲームでは難度は徐々に上がっていくものですが、『アウターワールド』にはそうした予定調和がなく、難しいステージの次に簡単なステージがあったりと、何が起きるのかわからないこと自体に強いワクワク感があったと語りました。そこにはエリック氏の作家性が表れているのではないかと問いかけます。
エリック氏は、制作当初は1人で作っていたため、自身の作家性が強く反映されていた部分もあると回答しました。
そのうえで、どのように「生きている世界」を作るかが重要だと説明します。世界そのものが自立しているような印象を与えることについては、上田氏の作品にも共通するものがあると指摘しました。

1980年代はアーケードゲームが多く、プレイヤーを没入させるゲームは少なかったと振り返ります。そのうえで映画「悪魔の棲む家」から影響を受けたとあるホラーゲームに触れたことが、自身のゲームに雰囲気や映画的な要素を取り入れるきっかけになったと語りました。
『アウターワールド』では、インターフェースを極力排除することも重要だったといいます。プレイヤーと世界の間に余計なものを置かず、風が吹き、クリーチャーが存在し、プレイヤーがその世界の中で進んでいく……そうした体験を重視したと説明しました。

また、最初から最後まで詳細に設計していたわけではなく、イントロや序盤のステージは用意していたものの、その先については明確に決めていなかったと明かします。そうした即興的な制作姿勢が、結果的に世界のつながりを生み出したのだと語りました。
そのうえで、エリック氏は逆に上田氏へ、どのようにゲームを作っているのかを問いかけました。
世界観、メカニクス、ビジュアル――作品の出発点
上田氏は、作品の作り方は一つではなく、世界観から始まる場合もあれば、メカニクスから始まる場合もあり、絵から作ることもあると説明します。
その際に重要なのは、「自分がプレイヤーだったらこのゲームを手に取りたいと思うか」と常に照らし合わせることだといいます。
『ワンダと巨像』は、「しがみつく」というゲームメカニクスが出発点になりました。それまでに培ってきたAI制御の技術を広げながら、新鮮なゲーム体験を作れるのではないかと考えたそうです。
エリック氏も『ペーパービースト』について、まずプロトタイプを制作したと説明しました。3D空間の中でロコモーション・システムを改善していくうちに、それが「生きていること」の象徴になっていったといいます。その後に世界観を構築していったそうです。

一方、『アウターワールド』ではストーリーから入ったといい、やはりどこから制作を始めるかはプロジェクトによって異なると説明しました。
上田氏は、制作においてはモチベーションの維持も重要だと語ります。世界観を基にして何年もモチベーションを維持するのは難しいので、メカニクスがうまくいった、あるいは新しいテクノロジーを見つけたという実感が、開発を続けるうえで大きな意味を持つと説明しました。
自分自身を「最初のプレイヤー」として見る
続いて、自分のゲームをテストする中で、どのようにプレイヤーの感情を作っているのかについて話が及びました。
エリック氏は、自分でゲームをテストするときには、ゲームデザイナーであることを忘れる必要があると説明します。
デザイナーとしてではなく、一人のプレイヤーとしてゲームを遊び、そのとき自分が何を感じ、何をしようとしたのかを観察するそうです。「つまらない」「平坦だ」と感じた部分も含めて、その感覚をゲームの改善に活用しているといいます。
つまり、デザイナーとしての自分と、ゲーマーとしての自分を分離することが重要だと語りました。

上田氏は、エリック氏のテストプレイの方法について強く同意しつつ、自身の作品は感情を動かすことが上手いと言われることもあるものの、必ずしもそれを強く意識しているわけではないと語りました。
ゲームではプレイヤーの行動をすべてコントロールすることはできず、最終的にはプレイヤーに委ねられる部分があります。そのため、感情を細かく設計するというよりも、自分は『世界環境を作る』ことにフォーカスしているといいます。
『トリコ』についても、発売当時は主人公とトリコの絆を前面に出したキャッチコピーがあったものの、自分としては少し照れくさかったと振り返ります。感動的な展開をスクリプトにするのではなく、トリコという存在そのものを感じてもらえるようにすることを重視したそうです。

上田氏は創作を料理にたとえ、フランス料理のフルコースのように味付けをすべてシェフがコントロールできるのは”映画”だと説明しました。一方、ビデオゲームではむしろプレイヤー自身が料理をしていると語ります。
キャンプで自分の好きなように食材を焼いて食べる感覚や、もんじゃ焼きを作るような行為なのではないかと語り、笑いを誘いました。
エリック氏も、ビデオゲームはインタラクティブな媒体であるため、プレイヤーのアクションそのものが感情を生み出すと説明します。
『トリコ』で撫でたり、槍を抜いてあげたりする行為を例に挙げ、クリエイターがお膳立てをしているとはいえ、プレイヤー自身の行動が感情に結びついていると指摘しました。

映画が基本的に一本の線として進んでいくのに対し、ゲームには多角的な動きがあります。風や場所、動くものなど、プレイヤーとは別に世界が並行して動き続けていることもゲームならではの特徴だと説明しました。
さらに、プレイヤーがより強くアクションすれば、それに応じて世界の中で別のことが起きる可能性があるため、ゲームではナレーションや体験の持っていき方そのものを操作できると語りました。
上田氏は、『アウターワールド』において、手前にいるキャラクターと奥にいるモンスターという2つのレイヤーが並行して動いていることを挙げ、そこにもゲームならではの「並行性」が感じられると受け答えました。
非言語コミュニケーション
両者の作品に共通する「非言語コミュニケーション」についても語られました。
上田氏は、言葉を使わない表現を最初から目指していたというより、「そうせざるを得なかった」と説明します。
ゲーム進行上重要な台詞をNPCに繰り返させることへの違和感から、世界のリアリティを優先して言葉を減らしていき、その結果、ビジュアルや展開、レベルデザインで進行を促す表現につながったと語りました。

エリック氏も同じ考えを持っていると語り、自身はシナリオが得意ではないと笑いながら説明しました。
テキストや声があることで没入感が失われる場合もあり、さらにメモリや翻訳の問題も発生します。そのため、テキストがないからこそ、仕草などによってさまざまなことを表現できるといいます。
『トリコ』が視線を動かしたり、プレイヤーの方向を見たりすることを例に挙げ、そうした仕草からプレイヤーが多くの情報を読み取れることに魅力があると語りました。
上田氏は、テキストなら1行で済む表現をモーションで実現しようとすると、大きな工数が必要になると説明します。
それでもそうした表現にこだわったのは、『アウターワールド』や『Heart of Darkness』から影響を受けていたからだと語りました。
技術的制約がクリエイティブを生む
技術的な制約とクリエイティブの関係についても話が及びました。
エリック氏は、ビデオゲームはテクノロジーと強く結びついており、1980年代から90年代にかけては約2年ごとにハードの世代が変わっていたと振り返ります。
当時は現在以上に制約が多く、制約などないほうがいいと思っていたものの、結果としてそれがスタイルやアートを生み出したと説明しました。ピクセルアートなどは、その代表例だといいます。
一方で、テクノロジーは「罠」にもなり得ると指摘します。
常に最先端の技術を使いたいと考え、『ペーパービースト』ではさまざまな技術を取り入れた結果、制作に必要な仕事量が増えすぎてしまったと振り返りました。新しい技術を追求することによって、逆に技術そのものに囚われてしまう場合があると語ります。

上田氏はこれを「耳が痛い話」と表現しました。
『ICO』や『ワンダと巨像』を制作していた頃は、自分自身の限界よりもハードウェアの限界が先に来ていたと振り返ります。しかし現在は、ハードの限界よりも自分自身の限界のほうが先に到達するようになったと説明しました。
『ICO』では、一つの城だけを作り、その他の部分は霧で見えなくすることで対応しました。『ワンダと巨像』でも、メモリの制約から巨像の配置を工夫する必要があったそうです。
制約とやりたいことのバランスを取りながら、リアリティと新鮮さを探していくことが重要だと語りました。
エリック氏も霧によって奥行きやミステリアスな雰囲気を生み出せる点に興味を示し、制約とともに何かを作ることの面白さを語りました。
ゲームという媒体への期待
ここからは、ゲームという媒体そのものに何を期待しているのかについて話が移ります。
上田氏は、ゲームを「総合芸術」と表現する人もいるものの、ゲームのフォーマット自体はまだ固まっていないと指摘しました。
プレイ時間や価格設定などについても、「これがベスト」という形が決まっているわけではなく、過去から続いてきた慣習に従ってビジネスが行われている部分があると説明します。
短いゲームを作りたいと思っても採算が取れないため、価格を下げなければならないと言われることもあるといい、どのようにゲームをビジネスとして成立させるのかは課題だと語りました。
そのうえで、自分が考えるベストな作品を追求する際には、ゲームというメディアがどうあるべきか、アートがどうあるべきかといったことを必ずしも考えているわけではないと説明しました。

エリック氏は、技術面よりも流通について課題を感じていると語ります。
Steamには非常に多くのゲームが存在し、その中から良い作品をどのように適切に届けるのかが重要だとしました。
大規模な開発費をかけたAAAタイトルばかりが目立つ状況には違和感があるとしながらも、インディーゲームには素晴らしい作品が数多く存在しており、まだ十分に知られていない作品もあると説明します。
AAAタイトルばかりが目立つ状況には違和感があるとしながらも、インディーゲームには素晴らしい作品が数多く存在しており、まだ十分に知られていない作品もあると説明します。
そのうえで、ゲームの「配給」については、まだ改善できる余地があると語りました。
プロトタイプとフィードバック
プロトタイプを作る段階で、他者からのフィードバックと自分自身の世界観をどのように両立させるのかについても語られました。
エリック氏は、そこが作品のコアになると説明します。
『フロム・ダスト』では当初サバイバルゲームとして制作していましたが、ディレクションを手放したことで結果的に良くなったと振り返ります。時には諦めることも重要であり、最終的には勘に頼る部分もあると語りました。

上田氏は、フィードバックについては、その内容が良いかどうかを見極めることが重要だと説明します。
多数決で決めるのか、ディレクターが決めるのか、一概には言えないものの、作品としてこだわらなければならない部分もあります。一方で、コンセプトから外れていなければ、現在のプレイヤーが操作しやすいように対応することも必要だと語りました。
最終的には、ディレクターが判断することになるのではないかと説明します。
ゲーム業界のトレンドとの距離
最後に、近年のゲーム業界のトレンドについて話題が及びました。
上田氏は、流行をすぐに取り入れるわけでも、まったく意識しないわけでもなく、その間で揺れ動いていると説明します。
そのうえで、自分自身が理解できるものや、プレイヤーがどのように楽しむのかという観点から、作品に取り入れられそうなものがあれば取り入れると語りました。
一方で、世の中で評価されているゲームを見ても、「わからない」と感じる場合もあると率直に語ります。
エリック氏は近年のインディーゲームでは『Cairn』を評価しているほか、『Untitled Goose Game ~いたずらガチョウがやって来た!~』などにも触れているそうです。
加えて、自分の中でインディーゲームのランキングを作っており、最初の20分で面白いと感じた作品は、そのまま遊び続けるようにしていると明かしました。

ゲームという媒体が持つ可能性を追求してきた2人の言葉からは、技術や機能そのものではなく、それらを通じて「何を感じてもらうか」が重要であることが伝わってきました。
制約やテクノロジー、プレイヤーの自由な行動を受け入れながら、世界そのものを体験させることが、両氏の作品に共通する創作姿勢といえるでしょう。
進化を続けるゲームだからこそ、その先にある新たな表現と感動への探求は、これからも続いていきそうです。
来源:GameSpark · gamespark.jp