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任天堂宫本茂获文化勋章,系游戏从业者首次,详述‘游戏成为文化50年’记者会问答

【快挙】任天堂・宮本茂氏が「文化勲章」を受賞、ゲーム関係者としては初。“ゲームが文化になった50年”についても触れる会見の質疑応答を詳細に掲載

AI 导读

任天堂董事研究员宫本茂于2026年10月23日获日本文化勋章,成为首位获此荣誉的游戏从业者。前一日他在京都总部记者会回顾五十年游戏生涯,提及游戏成为文化即变得理所当然,并分享角色设计与界面理念。

推荐理由

宫本茂成为首位获日本文化勋章的游戏从业者,其受奖为游戏作为大众文化获官方认可提供五十年行业背景。

正文

2026年10月23日、文部科学省は令和8年度における文化勲章の受賞者を発表し、任天堂の取締役フェロー・宮本茂氏が同勲章を受章することが明らかとなった。

「文化の発達に関し特に顕著な功績をあげた者」に対する勲章である文化勲章は、1937年の制定以来、日本画家の巨匠である横山大観、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹、スポーツ選手の王貞治氏、故・長嶋英雄氏らが受章してきた、非常に名誉ある勲章と言える。

そんな宮本氏の文化勲章受章が発表される前日である、10月22日。京都・任天堂本社にて、宮本氏の記者会見が実施された。

開口一番「照れくさい」と笑いつつ、文化勲章については「ゲームというのはひとりで作っているものではなく、大勢の人たちと一緒に作ってきた結果。それを代表するという気持ちで受ける」と語った宮本氏。

任天堂・宮本茂氏が
© Nintendo

会見のなかでは、1977年の任天堂入社以来、およそ50年に渡ってゲームを作ってきた宮本氏が、記者からの質問に答える形で「ゲームが文化になったというのは、ゲームが当たり前になったということでしょうね」と、社会におけるゲームの浸透について言及する場面も見られた。

また、「『スーパーマリオ』の裏話について聞かせてほしい」と問われ、「『スーパーマリオ』の一番大きな発明は、“マリオがクッパと戦わないこと”」と述べるなど、非常に興味深い会見となったので、ぜひ最後までお読みいただきたい。

現地取材/うきゅう
編集/世界のザキヤマ


目次

開口一番は「照れくさい」。ひとりでゲームを作ってきたわけではないからこそ、文化勲章は「大勢の人たちの代表としていただくつもり」

宮本氏:
ものすごく照れくさい気持ちでいますが、これだけ名誉ある賞に選んでいただけたことは、本当に光栄に思っています。

いつもお話ししていますが、僕は1人でゲーム制作をやっているわけではありません。大勢の人たちといっしょに作ってきた結果の受賞なので、その代表としていただくつもりです。

特に最近は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの「スーパー・ニンテンドー・ワールド」や映画事業など、ゲーム以外のジャンルの方ともたくさんの仕事をさせていただいています。皆さんとともに、この賞の喜びを分かち合いたいと思っています。

最近は『ゼルダ』40周年など周年が続いていて、僕自身も「ゲームを作り始めて45年」と紹介していました。ただ、考えてみると僕が任天堂に入社したのが1977年で、すぐにゲームの仕事に関わるようになったので、じつはもう50年になるんです。数えやすいので、今回は「50年」としてお話しします。

その50年前、「ゲーム」という、形があるのかないのかもわからないメディアに関わるようになって、ここまで仕事をさせてもらってきました。黎明期からいたからこそ、こうした扱いを受けていると思いますし、とてもラッキーな人生だったなと思っています。

任天堂・宮本茂氏が

──今回の受章は、社会におけるゲームの立ち位置の変化を象徴しているように思います。ゲームと社会の関係をどのように捉え、今後どうなっていってほしいとお考えですか?

宮本氏:
社会というより任天堂の話になりますが、僕の子どものころ、任天堂には「家庭盤」という商品がありました。ダイヤモンドゲームやロケットゲーム、百人一首もそうですが、1年間タンスの上に積んであって、お正月になるとみんなで出してきて遊ぶ。そういう任天堂と生活の関わり方が、昔から「いいな」と思っていたんです。

ビデオゲームを作るようになってからも、リビングの中心にゲーム機があって、そこでみんながくつろいだり、日々暮らしたりしている。それが「とても任天堂らしいな」と思って作ってきました。ゲームを遊ぶ人たちのためだけでなく、そうではない人たちにも興味を持ってもらえるもの。「リビングにあってもおかしくないものをずっと作り続けていこう」と進めてきました。

僕がゲームを作り始めた26歳ぐらいのころは、まわりの同年代はまだそれほどゲームを遊んでいませんでした。それがだんだんと、お父さんがゲームを遊んで育った世代になり、気がつくと自分がおじいさんで、おじいさんもゲームを遊んだ世代になっている。

親子3世代がゲームを知っているというのは、ものすごく大きいことで、それだけ関わりが深くなったということではないでしょうか。

それを「ゲームだって文化として見ようじゃないか」とおっしゃっていただくのは、とてもありがたいと思っています。これからも、リビングの中心にいつもあるものを作り続けていけたらと思っています。

インタラクティブな遊びとして、コントローラーの在り方にもこだわる。「ゲームほどインターフェースを真剣に作っている人たちは、世の中にいない」

──これまでの50年間の宮本さんの活動を振り返って、どのような要素が今回の受章につながったとお考えでしょうか?  また、印象に残っている困難や転機についても教えてください。

宮本氏:
困難や転機という話で言うと、ゲームキューブからWiiに移った時代は、悩みの多い時期でした。ゲームを遊ぶ人とともにゲームも進化し、ゲーム機も高性能になり、プレイヤーのレベルもどんどん上がっていく。

学校などでも「おたく、ゲームする人?」といった会話があって、ゲームをする人としない人のあいだに、衝立(ついたて)のようなものがあると感じた時期があるんです。

そうではなく、ゲームが日常の中に溶け込んで、いつでもゲームに触れているのが理想じゃないかと思いました。ただそれを目指すには、ゲームをより面白くしようとして作っているはずのコントローラーそのものが、「実は複雑で、初めて触る人には近寄りがたいものになっているんじゃないか」と考えました。

そこで、WiiやニンテンドーDSで、一度すごくシンプルな形に置き換えようとしたんです。

任天堂・宮本茂氏が
© Nintendo

そうしているうちに世代が重なり、ゲームをすることが日常になってきました。スマートフォンやモバイルが飛躍的に進んだことも、大いに貢献していると思います。

それに僕は、ゲームを作ることだけでなく、インタラクティブという「自分が何かをすると、相手が何かを返してくれる」メディアそのものが面白いと思ってきました。

その意味では、工業デザインで使うCADも「最高のオモチャや!」と思うんです。僕はちゃんと使いこなせないんですけど(笑)。コンピューターを相手に試行錯誤しているうちに、気がついたらすごく時間が経っている。これ、僕のなかでは立派なゲームです。

「それはゲームなのか」という議論にはなるんですが、ゲームでなくても、インタラクティブなメディアで日常の時間を忘れさせるようなものを作りたいと、ずっと目指してきました。まずはこれがひとつです。

もうひとつは、ゲームが、「人はこれを快適に使えるか?」という視点をものすごく大事にしているということです。コンピューターのインターフェースを設計している人たちのなかで、ゲーム業界ほどインターフェースを真剣に作っている人たちは世の中にいないと、僕はずっと思っていました。

ふだんウェブで何かを使っていると、反応が悪かったり、ほとんどの人が「はい」と答える質問なのにデフォルトが「いいえ」になっていて、大半の人がうっかり間違えるようなデザインに出くわすことがあります。そういうところに細かい神経を使ったデザインができるのが、ゲームを作っている人たちなんです。

いろんなコンピューターを使ったジャンルが、ゲームのようにお客さんに真剣に向き合って設計されていけば、インタラクティブな世界にはまだまだ進化の可能性がありますし、「日本が作れるものが最高だ」と言えるチャンスもいっぱいあると思います。

何年後かには「ゲーム」ではなく、「コンピューターインタラクティブ」という文化として評価していただけたらうれしいな、と思います。

ゲーム制作を、“キャラ設定”で縛られたくない……そんな思いで「映画は作らない」と言い張っていた宮本氏を変えた、任天堂ファンのキャラクター愛

──さきほど、「ゲームを遊んで育った人が3世代に及んでいる」というお話がありました。まさに、任天堂作品とともに人生を歩んできた人たちが、世界中にいると思います。そんな世界中の任天堂ファンへ向けて、今後の展望も含めたメッセージをお願いします。

宮本氏:
これは、数年前に映画を作り始めてから、何度か言っている話なんですが、僕は昔、「映画は作らない」と強がっていた時期があったんです。映画にはお話が必要で、お話を作ると、キャラクターの性格や家族といった設定を決めていくことになります。

でも、僕らはゲームのためにキャラクターを作ってきたので、つぎにどんなゲームを作るかはまったくわからない。それなのに、前もっていろんな設定を決めてしまうと、ゲーム制作が不自由になると思ったんです。

だから、「ゲームのために作ったキャラクターだから、ゲームでしか使えません」と言ってきました。でも長年ゲームを作っているうちに、マリオ、ゼルダ、カービィといった任天堂のキャラクターを、ファンの皆さんが愛してくださるようになっていきました。

ゲームを遊ばなくても、「キャラクターが大好きという形で、任天堂のファンになってもらえるな」と思うようになったので、映画作りに前向きになったんです。そして、「どうせ作るなら自分たちでやろう」と、映画の制作を始めました。

ほかにも、ユニバーサル・スタジオさんと協力してテーマパークを始めるなど、ゲームから生まれたキャラクターを、よりたくさんの人に見てもらえる場を作ろうとしています。最近は『ピクミン』もスコープリー・エクスプロア(元ナイアンティック)さんといっしょに提供しています。モバイルでも、任天堂のキャラクターは広がっていく可能性があると思っています。

ファンの皆さんには、「ありがとうございます。今後も楽しみにしていてください」とお伝えしたいです。

任天堂・宮本茂氏が
© Scopely Explore, Pikmin and Mii Characters / Artwork / Music © Nintendo.

──ご出身の園部、そしていまも働いていらっしゃる京都という土地への想いをお聞かせください。

宮本氏:
知らない方のために説明すると、私は京都の南丹市の園部町という田舎に生まれました。大学は金沢です。デザインの仕事ですから、「工業デザインならイタリアへ行かなきゃダメだろう」とか「最新のデザインはニューヨークだ」とか、いろいろ言われながら京都に就職して、コツコツとものを作っていたんです。

30歳を過ぎたころには「先端の街にいないとデザイナーは枯れていく」とも言われましたが、あまり気にせずに、ずっとゲームを作っていました。

そして40歳が近づくと、作ったものがなぜかグローバルに評価されている。30歳で作り始めたころから、日本より海外の売り上げのほうがずっと多かったんです。

「どうしてそういうものが作れるのか」と人に聞かれたり、自分で考えたりするうちに、それは先端の街でなにかと競争するのではなく、その土地でじっくりとものを作った結果だと思ったんです。それができたのが、この京都という場所でした。「京都にいてよかったな」と思いました。

任天堂・宮本茂氏が

グローバルというのも、「作ったものを人に届ける」と考えれば、別にそれがグローバルかどうか、都会かどうかというのはあまり関係がないんですよね。誰であっても、その人に対してものを作っていく。そのためには、「自分自身」という、ある意味でもっともローカルな場所に居座って、さまざまな仕事をコツコツやっていくのが重要です。

ものを作るときも判断するときも、過去の体験は全部反映されます。子どものころ、その辺の自然のなかでのびのびと育ったことが自然と再現できていて、それがたぶん世界中の人に通じている。

国が違っても、子どもが物理的な刺激を受けたり、考えたりすることは同じはずです。それを感じたときに、「田舎で育ってよかった」「京都にずっといてよかった」と、歳とともに思うようになりました。

これは、「どこそこの自然をもとにこのゲームを作りました」とか、そういうことではないんです。山に登って滑って降りたとか、川で魚を手づかみしたとか、溺れかけたとか、体に染みついたものが自分のものづくりの原点になっている。そういう意味で、「京都に、そのように育ててもらいました」という言い方をしています。

編集者

小説の虜だった子供がソードワールドの洗礼を受けて以来、TRPGを遊び続けて20年。途中FEZとLoLで対人要素の光と闇を学び、steamの格安タイトルからジャンルの多様性を味わいつつ、ゲームの奥深さを日々勉強中。最近はオープンワールドの面白さに目覚めつつある。
Twitter:@reUQest

編集者

ロボット物とゲームBGM、ラーメンの食べ歩きが好き。中学で『アーマード・コア』に触れて以来のシリーズファン。無機質なBGMとブースター音の融合に精神的な安らぎを感じている。2014年よりゲームメディアにて、攻略やインタビュー、コラムなどを中心に活動。

来源:電ファミニコゲーマー · news.denfaminicogamer.jp