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专访庆野由利子与市川干人:异色二人组打造物理动作解谜游戏《Dropping Drops》

「ゲーム基板はひとつの楽器」慶野由利子氏と、「MIDIコンをゲームにする」市川幹人氏――異色の二人が作る『Dropping Drops』インタビュー

AI 导读

Mindware市川干人联手 Namco 传奇庆野由利子,开发 MIDI 控制器物理动作解谜游戏《Dropping Drops》。本作 2025 年 10 月 2 日启动开发,原为非发售展示样片,同年 10 月 12 日活动试玩后转正式开发,无 MIDI 控制器也可进行分数挑战。

正文

MIDIコントローラーを使ったMindwareの物理アクションパズルゲーム『Dropping Drops』。本作を開発した市川幹人氏と、ナムコアーケードゲーム黎明期のサウンドを支えたレジェンドである慶野由利子氏の両名にインタビューを行いました。

全体で2時間にも及ぶ長大なインタビューとなりましたが、本作が元々製品としてリリースするつもりがないタイトルだったことや、慶野氏のゲーム以外の経歴や今と昔のサウンドの違いなど、多くの部分で興味深い場面が多いインタビューとなりました。

左が慶野由利子氏、右が市川幹人氏

――初めに市川幹人さんの自己紹介をお願いします。

市川幹人氏(以下、市川): 僕は、東京都府中市で育ったのですが、80年代前半にはゲームの制作会社は多くなく、1985年には府中から近いゲーム会社であった立川の日本ファルコムでアルバイトをしていました。その後、高校1年の7月から電波新聞社へと移り働いていたある日のこと、府中から新宿へ向かう途中にある東府中駅を通過する時に、シド・マイヤー氏がかつて代表を勤めたことで知られるマイクロプローズ社の広告が出ていました。

そこでアルバイトしつつ、高校2年生の時にM.N.Mソフトウェアを起業し、20歳になった時にX68000向けの『スター・ウォーズ アタック・オン・ザ・デス・スター』をリリースしました。

他にもセガの『ベア・ナックルII 死闘への鎮魂歌』や『スラップファイトMD』などを手掛けていましたが、体重が36kgほどにまで落ちるほどの大病を患って寝たきりとなってしまいました。

その後回復し、1995年には社名をM.N.Mソフトウェアからマインドウェアへと変更しました。それ以降はデジタル家電のファームウェア開発や、Wiiウェア向けの『カタチのゲーム まるぼうしかく』、2010年代では『平安京エイリアン』のリメイクである『平安京エイリアン3671』などを手掛けました。

僕がもともとゲームを作ろうとしたきっかけはコンピューターに空力計算をやらせたかったからです。ファミコンが世に出回る前だったので、小学生の時に空力計算の話をしても、周りの誰も、何も理解してくれませんでした。ただ『ディグダグ』が1982年に稼働し、大流行すると「お前『ディグダグ』みたいなものを作れよ」と周りから言われ、「『ディグダグ』って何だ?」と見に行き大衝撃を受けました。そこからゲームを作るようになったんです。

まさか2022年になって、『ディグダグ』のサウンドを作った慶野由利子さんとゲームを作る日が来るとは思いもよりませんでした。

――なるほど、ゲーム開発に入ったのは業界の盛り上がりを感じられる時期だったのですね。

市川氏: (活動を始めたのは)ゲーム界の盛り上がりを感じられるもう少し前からですね。なぜなら、ファミコンが出る前後で界隈の雰囲気が違うからです。ゲームを作り始めたのがファミコンが登場した後だったら簡単に喜んでくれなかったでしょうね

そういう意味では、今現在だと開発環境が豊かになっていますが、それでも10年も前はアマチュアでゲームを開発する人が多くありませんでした。なぜなら、2010年代には大手がリリースするPS4などのリッチな家庭用ゲームや、スマホ向けの基本無料ゲームが闊歩するなか、素人が作るゲームと比べられたら流石に見劣りしてしまうからです。そういう意味でも、喜んでプレイするユーザーがいたので作り続けることが出来ました。

『Dropping Drops』の開発をスタートしたのは2025年10月2日午前2時ごろだったと覚えています。

――そんな深夜に考えついたのですか!?ちなみに、それに至る前に何かしらアイデアを練っていたのでしょうか?

市川氏: 本作は元々リリースしようと思っていませんでした。2025年10月12日に第15回マイコン・インフィニット PRO-68KというX68000ファンなどレトロPCゲームファンが集うイベントがありました。そのイベントへは出展も第3回以降欠かさず行っているだけでなく講演もしています。その講演で「コントローラーが変わると体験が変わる」という内容を話しました。言葉で説明してしまえば「コントローラーが変われば、プレイ中いつも触れている物が変わる」ため体験は必ず変わります。それが顕著に現れたのが、タッチパネルが搭載された携帯ゲーム機のニンテンドーDSですよね。

それを、言葉でなく実際に体験して理解してもらわなければならないサンプル的なゲームとして作ったのが『Dropping Drops』でした。当日には遊べるゲームになっていて、僕の友人であるエムツーの堀井直樹さんなど試遊した多くの人が興奮するほど大盛況でした。そうした試遊した皆様から「これはいつリリースされるのか?」という話が相次いだことから、手応えを感じ本腰を入れて開発することになったのが本作開発の経緯です。

――本作は、UIなどを含めて80年代前半のナムコゲーム的な雰囲気がありました。そういった80年代スタイルを選んだ理由は何でしょうか?

市川氏: それは、過去に我々が作った『スペースマウス2』というゲームがナムコアーケードの縦288横224ドットにジャストフィットしたので、一気にナムコ風のスクリーンフォーマットに寄せることになったからでした。アタリフォントにすると共に1プレイヤーのスコア表記を1UP(UP=ユーザープレイヤー)とするなどしました。

本作は元々正式にリリースする予定がなかったことから、『スペースマウス2』の時に作ったエンジンを流用したのです。このエンジンは2024年にリリースした『ウットイ3671』でも使用しただけでなく、慶野さんと初めてご一緒させて頂いた『デンシライフ』でも、ナムコのレジェンドと組ませて頂くことから大きく寄せることになりました。そうした「元々リリースするつもりがないこと」と「定型フォーマット的に流用すること」が合わさったことからナムコ風の見た目になりました。グラフィックデザイナーがデザインしたものがほぼ出てこないので、そういう意味で80年代に寄せにいくという意図はありませんでした。

また、「80年代ナムコのゲームを初めて見た時の新鮮な驚きと、同じものを感じた」と言われたのは嬉しかったですね。皆が求めているものの一つに、「当時の初めて見た時の驚きが欲しい」というのがあるはずです。その感動を提供することにこだわりがあり、サウンドについても『デンシライフ』シリーズではゲームの展開に合わせて曲が変化することを表現していました。

今回、本作を作っていく中での大きな特徴と言えば、作曲家・慶野由利子さんというより、クリエイターの慶野由利子さんと一緒に作らせて頂いたという形でした。なぜなら依頼したサウンドを納品してもらうだけの関係でなく、ゲームの英文チェックなどもして貰ったからです。

慶野由利子氏(以下、慶野氏): 今回に限らず市川さんと仕事をしているといつもそうで、とても楽しいです。デバッグまでやりました(笑)

――慶野さんは作曲だけでなく様々なチェックなどもされていたのですね。また本作を、MIDIコンを使ってプレイしてみると、まるでアーケード筐体を再現して遊んでいるような気分になりました。

市川氏: うちは、ピンボールも扱っているのですが、それはゲームセンターが今後生き残るためには、イベント開催を筆頭に、家では体験できないものを提供することが大切だと考えているからです。これ以外は家庭用で事足りてしまうので、ゲームセンターならではのアドバンテージが無いのですよね。そういう意味では、本作をMIDIコンで操作するスタイルも同じです。パッドやマウス+キーボードで遊ぶのとは異なる感覚が得られるため、本作の強みを最大限に活かせると思っています。

――MIDIコンの発光やフェーダーを動かした時のリアルタイムな変化が直感的で楽しいと思いました

市川氏: そうしたコントローラーの操作がゲームへ直に反映される面白さを大事にしました。そうしたインタラクティブ性が無かったらMIDIコンを使わせる意味がないとも言えるのがとても重要なところです。

一方で、このMIDIコンに完全特化した場合に「MIDIコンがない人はどうするのだ?」という問題があります。MIDIコンが必須なことを前提としたら、マーケットが無くなってしまうのが現実問題です。そこでMIDIコンが無くてもスコアアタックで支障が無いぐらいちゃんと遊べることや、MIDIコンがあればもっと楽しいと思えるものを作らなければなりませんでした。

また、2019年に開催されたマイコン・インフィニット64でnanoKONTROL2を使ったタイトルを1回出展しています。その時に出展した時も好評を頂いており、エムツーの堀井さんから「環境を用意するからサンプル送ってください!」と言われるほどインパクトがあり、未だ体験したことのない驚きがありました。

また2019年に出展したものはMIDIコンの一部のフェーダーしか使わないものでした。他にも、この出展では遊び終わった人が次に遊ぶ人にゲームの説明をするという現象もみられ、まるで遊び方を知っている子供が、知らない子供に説明して一緒に巻き込んで遊んでいるような状況になり「非常にこれは良いことだ」と思いました。ただ、そのゲームの大きな欠点としてはnanoKONTROL2が必須なことでした。それでリリースに至らなかったのです。

――そうなると、本作は「専用コントローラーが無いと遊べない」という課題を解決した作品でもあったのですね。

市川氏: そうですね。MIDIコン対応の『デンシライフ』と『デンシライフ2』を作ったことで、こなれたかなというのはありますね。

――このMIDIコンnanoKONTROL2と出会ったのはいつなのですか?

市川氏: 86年~90年代前半までの間、古代祐三さんにサウンドを担当していただく事が多く、その関係で古代祐三さんのサウンドドライバーの移植も行い、サウンドドライバについての話をすることも多かったので、自分もある程度音楽のことはわからないと会話が成立しないため、自身でPSGやFM音源の実験や、シンセを購入して様々な音を鳴らしていました。そういう背景から現在もシンセだったりMIDIデバイスの新製品情報のチェックはしていて、そんな中で発見し「お!これは面白そうだ!」と特に強く感じたのがKORGのnanoKONTROL2でした。

見て0.5秒で思いついたのがテーブルサッカーで、「これゲーミングデバイスじゃないか! 」、「これをPCに2台繋げてプレイしたら凄いのではないか」と思ったのです。

また、2026年現在では1万円近い値段になってしまいましたが、2016年前後では3,000円台というリーズナブルな価格でした。「これだったら失敗しても良い」と思って買ったのが切っ掛けだったのです。

少し触れてからKORGさんに電話をしました。僕は「皆これをゲームに使うだろう」と信じていたので、問い合わせた時に「何社ぐらいからコンタクトがありましたか?」と尋ねたら「そんなこと考えてるの貴方だけです!」と言われ爆笑されてしまいました(笑)

――このnanoシリーズ2は3種類ほどありますが、今回使ったもの以外で他の機種を使う目星はあったのでしょうか?

市川氏: というより、(ゲームプレイで使うものとして)目星がつかない方が不自然だと思っています。例えばnanoKEY2というキーボード鍵盤は2オクターブほどの音階を持っていますが、PCで音楽ゲームを作っている会社はみな対応すれば良いと思っています。むしろ、音楽ゲームを作ろうとする人が、そういったデバイスをチェックしていなかったら「勉強不足だよね」という話になっても良いと思っているくらいです。

慶野由利子氏に聞く音楽制作。ナムコ退社後、どんな仕事をしていたのか?

――では、慶野由利子さんの自己紹介をお願いします。

慶野氏 : 作曲家です。1980年代に、株式会社ナムコに勤務しました。1981年4月から1985年3月まで正社員。少し間が空いて、1986年6月から1989年3月まで契約社員のような形で仕事をしました。現在はフリーです。市川さんから仕事を頂くのはこれで3作品目となります。

――ありがとうございます。早速音楽についてです。初めて手掛けた『ディグダグ』から『ロンパーズ』に至るまで、80年代はグラフィックだけでなくゲームサウンドも急速に進化した時代だったと思います。当時その変化をどのように感じていましたか?また将来的にはどのような発展を予想していましたか?

慶野氏: 『ロンパーズ』はオリジナルサウンドクリエイターとしてスタッフロールに名前と似顔絵が掲載されていますが、試作段階では関わりましたけれども完成した作品の中では楽曲を担当していません。ナムコで最後に携わったタイトルは、アーケードだと1988年の『プロテニスワールドコート』、家庭用ではPCエンジン版『パックランド』です。PCエンジン版『パックランド』は、ステレオにもなっているほか、追加楽曲もあります。楽しい仕事でした。

アーケードに関しては、『ディグダグ』と『ゼビウス』は任意波形発生回路の3チャンネル、その後がカスタム15という8チャンネルでした。ここまでは、ノイズはサウンドのプログラムでは操作できず、メインプログラムの方で出す1種類だけでした。

その後のカスタム30(C30)では、実は16チャンネルへの切り替えも出来るように作られていましたが、音質が落ちるというデメリットがあったので、私の在職中は8チャンネルでしか使っていませんでした。その8チャンネルのうち4チャンネルはノイズに切り替えができて、そのノイズをサウンドプログラムで任意に操作できます。それまでの「ドカン」という爆発音1種類だけでなく「シュー」という音など、周波数帯域を選ぶことができ、エンベロープも自在に作ることができました。そうしたことを『パックランド』や『ドラゴンバスター』で活用する事ができました。

1986年にはSYSTEM86基板となり、FM音源+カスタム30(C30)+合成音声という構成になりました。さらに後継のSYSTEM1基板が登場しました。私が担当したのはこの3種類の音源の中のFM音源だけでしたが、FM音源の可能性に魅力を感じて試作したなかの1曲が『パックマニア』の“ジャングリーステップ”の面に採用されました。ああいうことが出来るのは本当に面白かったです。

当時、将来については予測できませんでした。与えられた仕事を遂行するだけで手一杯でした。

――依頼された仕事にまず取り組んでいたのですね。

慶野氏: そうですね。特に86年以降は分業化が進んでいましたから。入社当初の81年頃は皆でワイワイガヤガヤしながら仕事し、いろんな人が意見を言い合っていました。ちょうど、市川さんと仕事をしているのに近い部分があります。86年以降は正社員ではないという立場上のこともあったかと思いますが、一緒に作っていくようなスタイルではありませんでした。個々の企画に関するミーティングに参加した記憶もなくはないですが、大局的な話まではしませんでした。

――慶野由利子さんの作品履歴を見ると90年代以降はあまり語られていません。また経歴を追うと2016年の『キラキラスターナイトDX』と、2016年の『8BIT MUSIC POWER』の存在が目立ちます。ナムコを離れてからの25年間は何をされていたのでしょうか?

慶野氏: 90年代以降、ゲームから離れていたというだけで、作曲自体は続けていました。一番長く勤務したのは個人の音楽事務所で18年あまり、日本伝統音楽のコンサートやCDの制作の仕事に従事していました。私のプロデュースで文化庁芸術祭レコード部門優秀賞を2回受賞し、文化庁芸術祭演奏部門新人賞を1回受賞しています。

その勤務中、ちょうどナムコさんがバンダイナムコゲームスに変わる時期辺りに、一緒に色々なお仕事もしました。『太鼓の達人』の草創期に尺八と箏を入れた楽曲があります。それらを私の勤務先のスタジオで録音し、A&Rとコ・ディレクションを担当しました。

とても忙しい仕事でしたが、箏と十七絃(低音の箏)のデュオで活躍するユニットから委嘱を受けての作曲や、ローランドの「着楽器☆パラダイス」というコンテンツで生楽器の演奏を入れた携帯電話の着信音のための作曲もしました。

2010年の末にその事務所を退き、2011年からは自宅でコンピューターでの音楽制作環境を構築しました。色々なところから声をかけていただいて、音響制作会社やビクターの純邦楽部門が独立した日本伝統文化振興財団などに勤務しました。様々な場所に招かれてゲームについての講演やトークショーをさせていただく機会もありました。その講演などの時には「初期のゲーム音楽はこうなっていました」という説明のためにチップチューン的な曲をその都度作りました。

2012年にはヤマハのFM音源であるYM2151をiOSアプリに再現したiYM2151のデモンストレーション楽曲を提供し、同じ年にフルートとピアノのための作品を作曲しました。この曲は後にフルートアンサンブルに編曲して2024年に楽譜を出版しています。

また2013年には、日本の箏と従姉妹 のような関係にあたる韓国のカヤグムという楽器の、研究者であり演奏者でもある大阪の方が両国の楽器の聴き比べの演奏会を行うに際して、全員が一斉に演奏できる曲を書いてほしいという委嘱を受けて、箏、カヤグム、25弦カヤグム、チャングのための作品を作曲しました。日本の箏は13弦、韓国のカヤグムは12弦で、日本の箏は爪と呼ぶピックを指にはめて演奏するのですが、カヤグムは太い糸を素手の指で弾いてチョーキングを効かせながら演奏します。25弦カヤグムは伝統楽器のカヤグムから発展した現代の楽器、チャングは古典のカヤグムの演奏に必ず伴奏で付く鼓形の太鼓です。

この作品は東京のヤマハホールと大阪のフェニックスホールの2か所で初演されました。そのヤマハホールに思いがけず横浜市の職員の方が見えて聴いておられました。翌年の文化庁のプロジェクト「東アジア文化都市2014横浜」開催に際し、横浜市青葉区のフィリアホールで、日本や韓国だけでなく中国の箏も入れた三カ国の箏によるコンサートを、と主催者に対して提案があり、主催者より私に委嘱をいただきましたので、お引き受けしました。

カヤグムは学生時代に勉強していましたが、中国の箏については知らなかったので、大学時代のつてを頼ってリサーチしつつ、日中韓の箏のための曲を書きました。公演後のレセプションの時に横浜市の副市長さんと青葉区の区長さんが異口同音に「慶野先生の曲を聴いてアジアは一つということがわかった」と言ってくださってとても嬉しかったです。

――慶野さんの経歴を聞いてからの感想となりますが、チップチューンと実際の楽器のための楽曲を平行して手掛けた中で、各々が持つ違いに気づいた点はあるのでしょうか?

慶野氏: 私は常に、チップチューンという名前がない時代から、ゲーム基板を一つの楽器と捉えて、その楽器が得意なことをやらせようとしてきました。日本の箏や韓国のカグヤム、中国の箏にしても、伝統的な調弦で、古典曲に用いられるフレーズを用いて、それぞれの楽器の特性を活かすことで、それぞれの楽器の持ち味や魅力が現れてきます。

よくお話しすることですが、コンピューターは人間が得意なことは不得意だけど、人間が不得意なことは得意です。例えば、3回繰り返すところをミスタイプで33回と命令したら、コンピューターは疲れを知らずに33回繰り返しますし、1オクターブ間違えて上の音を書いたら1オクターブ上の音を鳴らしてくれます。

こうして人間には不得意なことを文句も言わずに演奏してくれるという面白さを生かすことがコンピューターを使った音楽なのだと思います。だから、(コンピューターで音楽を作ることについて)人間の作る音楽に似せることは、私はあまり考えませんでした。ゲームの仕様によって、そういった音楽が求められる時もありますが、基本的な考え方は常にそうです。つまり、その楽器の一番美味しいところを出すことです。

――『8BIT MUSIC POWER』での楽曲「EIGHT BIT JUNGLE」は70年代プログレ的…、EL&Pの「タルカス」的な曲が印象的でした

慶野氏: 言われてみると確かに「タルカス」に似ているかもしれない……。これは8bitコンソール機のカセットの形をした音楽アルバムなので、何かの目的や特定ジャンルなどに寄せなければならないという縛りのない好きなことができる作品でした。

ここでは、正確な時間は忘れましたが、DPCMをある長さだけ使えることになっていました。細かく刻んでドラムスの音として使う作曲者が多い中、私は全部まとめて頭にゴングの音を鳴らすことにしました。あれができたのが面白かったですね。できることをやってみようと。また、曲の途中でガラッと曲調を変えてみました。

動画の1分53秒から試聴版を聴ける

――そうした、できることを詰め込んだのがあの曲だったのですね。ちなみに得意なジャンルはあるのでしょうか?

慶野氏: 幼少期からいわゆるクラシック音楽を勉強してきましたので、クラシックっぽい曲は作りやすいです。ハーモニーやポリフォニックな動きも作り慣れています。でもそれだけでなく、常に実験的な試みはしていきたいなと思っています。常に、「これだったらこんなこともできるかな?」という試みをしてみたいですね。

『デンシライフ』から『Dropping Drops』までの開発の積み重ね

――本作のサウンドについては前作『デンシライフ2』の音楽より80年代初期のナムコアーケードゲーム的なエッセンスを感じました。サウンド制作について何か意識したものはありますか?

慶野氏: 常にゲームのための音楽は、ゲームの世界観に合わせて作ります。今回はお菓子の国のような夢の世界です。

市川氏: 『デンシライフ2』のほうは7種類ある曲が同時に鳴りうるわけで、各パートごとにあるないというのが分かれており、しかも4秒おきに……。

慶野氏: 「そういう風にしよう!」って私のほうから言っちゃったのでした。

市川氏: その試み自体がとても実験的になっていました。この機能は最初デバッグのために作ったものでした。かなり特殊で、本当に他に似たものが全くないというレベルですね。

筆者コメント※ここで市川氏が『デンシライフ2』を起動してテストモードの様子を見せてくれました。nanoKONTROL2のフェーダーを上下して音量を操作すると、各チャンネルのサウンドが良く聴こえ、まるでDJプレイを見ているような気分にもなりました。

市川氏: これだけしばらく遊んでいても良い感じです。

『デンシライフ』自体、もともとゲームとして売ろうとして作ったゲームではありませんでした。Steamでゲームを販売する時に必要なものとしてPCの動作要件があるじゃないですか。『ウットイ3671』というUnityで作ったゲームがあるのですが、その時僕はUnityの負荷を理解していませんでした。そこでUnityのベンチマークとして『デンシライフ』を開発し、生命体が存在し突然変異だけ加えられるものを配布しました。

そのアプリで出力できる負荷レポートを送ってくれと頼んだものの、「こんな生物が生まれました!」みたいなスクリーンショットばかりが送られてきました。ゲームとして作っていたわけではないために、「面白いですね」や「これが良いじゃないですか」と見当違いのフィードバックが返ってきたために「失礼だなあ」と思いつつ、面白いという声を聴いていくうちにゲームにしようという気持ちになったのです。

このタイトルは慶野さんとの出会いの原点となったゲームでした。最初、サンプルを作った時に小沢純子さんに曲を書いてもらう予定でした。小沢さんも書く気満々だったのですが、ある時打合せをしたら「あんまりこういうのは思い浮かばなくて…」という話から、悩んでいたところ、「慶野さんにお願いしたら?」という話になりました。僕にとって慶野さんと小沢さんは僕にとって女神なので、女神様のお告げを聞いたら、断る理由がないじゃないですか。

慶野氏: それまで全然連絡を取り合ったこともなく、私は市川さんという方を存じ上げませんでした。

市川氏: そうなんですよ。それで、その打合せが終わった後に、小沢さんが「市川という人から連絡が行くから」というお手紙を書いていた時に、もう僕は慶野さんへのコンタクトに向かっていて、コンセプトを説明したらすごく気に入っていただきました。

慶野氏: 小沢さんは市川さんの瞬発力を評価していましたよ。

市川氏: あはははは!(笑)それでもう数時間後には「やるぞ!」みたいな気持ちになっていました。

それが2023年3月22日ぐらいに思ったことで、その直後ぐらいに慶野さんと打ち合わせをして、リリースが6月23日になったんですよ。まさに3か月丁度で仕上げました。

『デンシライフ』は音楽がゲームの状況に応じて変化するというのを、初めてちゃんと表現したゲームですね。1と2で動作のロジックは全然違うものですが、1の時は32秒の曲で、8秒おきに沢山集まってくる電子のテーマに変わるというやり方でした。つまり8秒単位の区切りで突然別の曲に切り替えても辻褄が合うんですよね。特殊すぎるものを叶えてくれました。

慶野氏: 『デンシライフ』初代は、一度に鳴る音は1つですが、状況によって8秒後に違う曲が鳴るかもしれない。状況によっては続くかもしれない。続いても別の曲に移っても繋がるように作っています。

市川氏: 聴こえていない曲も、ずっと音量ゼロで鳴っているわけですよ。それでパッとどの曲に変わってもつじつまが合う、そんな音楽がありうるのか?という音楽を作曲してくださりこのシステムが実現しました。。慶野さんは、民族音楽などあらゆることをやっているから表現できるというのは確実にあるでしょうね。

――まさに、慶野氏のこれまでの経験が詰まったシステムであったと。

市川氏: とても詰まっていると思います!

慶野氏: 逆にゲームでなければできないことかもしれません。8人演奏者を並べて指揮者が合図したら変化、とやってやれなくはないかもしれませんが。

市川氏: しかも『デンシライフ』の時は、時間制のモードの時だと1秒ごとに変わるというのをやりました。これはたまたまアレンジャーで参加してくださっている方が「これ120bpmだから1秒にしても問題なくいけますよ!」と言って、少し試してみたらすごく面白くできました。

慶野氏: 私が提案したのは「8秒切替をメインにして。8秒での切替を聴き慣れた人になら1秒切替も良いと思う」ということでした。

――『Dropping Drops』は80年代初期のアーケードゲーム的なエッセンスを感じました。特別意識したということはありますか?

慶野氏: アーケードゲームとして意識したということありません。市川さんからいただいたこれまでのお仕事は『デンシライフ』『デンシライフ2』いずれもイメージが抽象的なものだったので、「今回もそうに違いない!」と勝手に思い込んでいました。

それで、BGMでは音の運びを1面では2度(ドレ、レミ~と隣り合う音で進む)、2面では3度(ドミ、ミソなど)、3面では4度(ドファ、ファシなど)といった縛りを設けて試作を始めました。これがとても大変で難航しているところへ『ありすとゆーの飴玉工場』という仮タイトルが出てきて、ありすとゆーの絵まで出てきました。詳しくは『Dropping Drops』サントラCDのブックレットに掲載されたインタビューでお話ししている通りです。これまで築き上げてきた世界観がガラガラと崩れていき……。その後、ありすとゆーは出てこないことになりましたが、それでも世界観は変わらず可愛いイメージと市川さんからお聞きして、それでは音で可愛くしなきゃ!とワルツにしました。

市川氏: ありすとゆーというのは、うちのゲームの『数字の星のありすとゆー』と、『スペースマウス2』で登場する4歳の主人公ありすとその友達のゆーです。こうしたキャラクターが登場する世界で行こうかなと思っていたのですが、本作で主人公を出すことが上手く嚙み合わなかったので急に無しとなってしまいました。

慶野氏: 「どこに出てくるのかな?」と思っていたんですよ。飴と一緒に落ちてくるのか、画面下にいるのか…。

市川氏: マスコットやナレーター的にいるようにかんがえたのですが、それじゃあ面白くないですし、存在する以上はその子たちを活躍させたい想いがありました。今回はそういったキャラクターが前面に出てくるゲームじゃないからやめるかと……。無責任に二回もちゃぶ台をひっくり返しちゃいました。

――音楽の方向性を含めて何もかも1から作り直したんですね

慶野氏: そうなんですよ~

市川氏: どうしてそうなったかと言えば、もともとリリースすることを前提に作っていなかった、という理由がありますね。だから最初は、世界観も何もなくて「コントローラーがあるとゲームプレイが変わるでしょ!?」と説明するのが目的でしたから、ゲーム内容は全く変わりませんでした。

今現在のようにこれだけゲームが増えた中で良くないことと言えば、プレイヤーの顔色を伺ったような作りになってしまうことだと思っています。そうすることで個性が無くなってしまい、コンセプトの存在が希薄となってしまいます。それを考慮すると、小規模なゲームは大きく尖るしかないというと思っています。それもあって世界観の表現については色々悩みましたね。飴玉工場は変わらなくても、何らかの施設であるのがわかるようにしなきゃいけない、ということがあったのです。

筆者コメント※他にも、本作には「1プレイ100円」アイコンが表示されます。また、100円や50円に切り替え可能で、このデザインは固く正確性の高いジョイスティックを製造することで知られるセイミツ工業から許諾を得て実装したとのこと。加えて、画面のデザインにテーブル筐体のモニターにある白枠を表現したこともあり、本作がどことなくアーケードゲーム的に見られる要素を1つ1つ説明してくれました。

画面右下の「1PLAY ¥50」表記がセイミツ工業から許諾を得て実装したアイコンだ

市川氏: 初代『デンシライフ』の時は、この点の数がフルスクリーンにすると処理落ちが止まらなくなるので、画面を狭めて視認するのが苦しいと言われないようにするためにテーブル筐体的なデザインにした結果です。それで、昔のアーケードゲームに寄り添った形となりました。このインストで1プレイという表記がついてしまうと確かにアーケードゲームですよね。本作を初公開した時のマイコン・インフィニット68では、この100円表記状態のままにしていたところ、来場者に一人に「どうぞ」と声をかけたら財布から100円を取り出したということもありました(笑)

――KORGのKAMATAは往年のナムコのアーケード基板の音源に採用されていた「波形メモリ音源」を再構築していますが、慶野さんはこれに触れてみて、再発見はありましたか?

慶野氏: 私にしてみると、KAMATAとカスタム30とは音色の作り方が同じというだけで、とても大きな違いを感じています。まずカスタム30では、ハードウェアの制約から音色にどうしても歪みがあるのです。一度オシロスコープで波形を見せてもらいましたが、矩形波の山の部分が中心線に対して平行ではなくやや右上がりになっていました。

最近になってバンダイナムコエンターテインメントさんで行われたインタビューを受けたときに、古くからいる人に「ものすごく高い音が一つ鳴っているのですが、これは何ですか?」と質問されて、「それは恐らくハード上の制約による歪みから出た音だと思います」と返事をしたぐらいです。音色的にこんなに綺麗なものではありませんでした。

最大の違いは、同時に鳴らせる音の数です。カスタム30では、先程お話しした通り、同時発音数(=チャンネル数)は基本的に最大8音です。8音しか使えない中でBGMも効果音もすべて鳴らさなければなりません。たとえば効果音を1音鳴らすなら、8音のうち1音分を空ける必要がある。2音鳴らすなら2音分を空けなければならない。そうした調整を、ゲーム中ずっと行っていたわけです。

特に『パックランド』は大変でした。プレイ中にゴーストがいろいろな乗り物に乗って現れたり、様々なものが出現したりして、効果音が次々に発生します。そのたびに、どの音を鳴らし、どの音を出さないかを常に制御していました。

市川さんが気に入ってくださった『Dropping Drops』の1位ネームエントリー曲を例にご説明しましょう。この曲の中で、ベルのような音がグリッサンド(音階に沿って1音ずつ高音、または低音へ推移する表現)するために、音符としては1個ずつ鳴っていますが、一つの音が減衰している間に次の音が鳴っています。これをカスタム30の8音の縛りのなかで行おうとすれば、ほかの音が出なくなってしまいます。解決しようとしたら、サウンドチップを複数個用意しなくてはならない規模になってしまいます。

――そうなると『Dropping Drops』で奏でられる曲はとてもリッチなのですね。

市川氏: 確かにそうかもしれない。

慶野氏: KAMATAでできることはできる限りやりました。でも、まだまだ勉強中です。

市川氏: また、次ご一緒できたら…!僕自身がもうファンになっちゃって、慶野さんが作った曲を最初に聴けるのって大役得ですよ!しかも僕が慶野さんだけでなく、小沢さんの書いた曲も最初に聴いているみたいな。当時のナムコの偉い人になった気分にもなりました(笑)

現行版では無いが音楽などはここで確認できる

慶野氏: 当時は、超偉くなくたって部屋でみんな聴いていましたから。86年頃にはみんなヘッドホンをつけていましたが、81年当時はヘッドホンなんか使っていなかったので、音を鳴らすと部屋にいる皆が聴きました。

ビデオゲーム開発のためのハードの設計者とプログラマーとサウンド担当者で一つのセクションで、全部で十数名、その部屋の中に筐体がいくつか置いてありました。みんなでワイワイガヤガヤとやっていました。

市川氏: 小沢さんも言っていましたね、新しい効果音が入った時には部屋中の人が「おぉー!」っと反応してくれたと。

慶野氏: 小沢さんの年代で大勢入社しましたし、その前年に社屋移転しており部屋も広くなったので、彼女の入社より前は、より濃かったんです。

市川氏: 『Dropping Drops』では、慶野さんから納品された音楽データが来るのが本当に楽しみでしたね。データが届いたときに僕はデスクにいれば良いんですけれど、移動中とかだと「早く電車が着いてくれ!」と思ってしまいます。

――ちなみに本作でお気に入りのサウンド・エフェクトや曲はありますか?

慶野氏: 一番作り甲斐のあった作品は、本作の中にある楽曲よりも、本作の楽曲をリミックスしたNFCタグ内蔵ミニCDキーホルダーのための楽曲『Candy Box Waltz』です。

市川氏: 本作のサントラを模したミニCDケースはNFCを内蔵しており、スマホをかざすとその楽曲を聴けるページに飛べます。

筆者コメント※このタイミングで市川氏が実際の曲を再生してくれました。

――楽しい曲で良いですね!

市川氏: リミックスが素晴らしくて!

慶野氏: BGMとSEも少々採り入れてリミックスしています。ループするBGMにはない構成を持たせた2分強の楽曲です。

市川氏: 僕自身はトップ1ネームが一番気に入っています。

慶野氏: この曲の終結部分はトップ1ネームに向かうように出来ています。本作の中ではトップ1ネームが結構手の込んだことが出来ていたなと思います。

市川氏: ネームエントリーのある曲は『ギャラガ』や『ゼビウス』など多くあるなか、1位より2位以下の曲に名曲が多いということを慶野さんに話したら、慶野さんから「1位も名曲にします!」と言って作られてきたものがとても素晴らしいものでした。さすが慶野さん!という感じです。

慶野氏: ゲームセンターと違って家庭でプレイするので、割と簡単に1位の曲を聴けますから(笑)

市川氏: 今回の『Dropping Drops』だけでなく『デンシライフ』の初代からそうですが、慶野さんの作るSEも素晴らしいものです。

慶野氏: SEのドロップ音は上手くできたなと思っています。

――確かに気持ちが良かったですね。飴玉を「カタチ」に入れた時の快感が非常に高かったです。

市川氏: いただいた3種類の効果音を全て使っていて、音高は当たったものの色を判定して変化させるようにしています。そういう意味では、同じものに当たった時は必ず同じ音が鳴るけれど、そうじゃないときは音高が変わるように鳴るように出来ています。

実は飴玉の数が数百という単位で存在するため、馬鹿正直に全てを鳴らしてしまうと耳障りになるほど大変なことになってしまいます。それで、4チャンネル分だけ鳴るようにし、しかも1個が鳴ったら、3フレーム以内の間に何かに接触しても鳴らさないようにしました。また、チャンネル数もアナログ的に調整できるようにしてあるので、人間の体感に合わせるため慶野さんにもモニターしてもらって色々調整しました。

慶野さんの女神度がとても高まったのは、最初に「効果音も私がやってもよろしいですか?」と言ってくれたことです。僕的には、負荷を考えると大変ということもあるので、他の手配もしなきゃと思っていました。そうしたら慶野さんから、「ゲームの世界の音の部分全部を作りたい」と言われまして、「子供のころからの夢は守られた!」と素晴らしく思いました。

慶野氏: 女神と言われて気付きましたが、神様って信者の願いを叶えなきゃいけないんですよね(笑)

市川氏: 信者が多ければ多いほど願いを叶えてあげなければならないですね(笑)

――今後はどんなゲームを作ってみたいですか?

市川氏: 本作もあるし、超レジェンドなゲームタイトルの究極進化版みたいなゲームもあります。他にはオリジナルのハードウェアを絡めたものもありますし、実機のピンボールを作ることなどキリがないですね。寝ても覚めても作り続けないといけないかなと思っています。

慶野氏: また突然思いつくのでしょう?

市川氏: そうなんですよ!「今回はこれ!」みたいに突然降ってアイデアが湧いてくるという事があったりもするので(笑)とにかくそういった新しいタイプのゲームを作って皆様に体験してもらいたいですね。僕は大病から復帰した時に気づいたことで、ゲームって別に生活になくても、ゲーム業界の人以外は別にそれで死んじゃったり食えなくなったりしないんですよ。

じゃあなんでこういうのをやっているんだろう?と考えた時に、娯楽で楽しい想いをした時には気分的に心も素直で良い人になっているんですよ。普段人が持つストレスを発散させて良い人になって次の日が迎えられるというのに貢献できたらというのが、たぶん僕が神から与えられている「ゲームを作る人のミッション(使命)」なのかなと思っています。皆様に「心の一本」と言ってもらえるゲームを作らなきゃいけないことで、マインドウェアという社名になったりしたのですけれど、そういうゲームを作り続けたいですね。

――ありがとうございました!

来源:GameSpark · gamespark.jp