任天堂宫本茂获颁文化勋章,报道从《超级马里奥》诞生幕后到生成AI时代创作论及年轻开发者寄语的记者会
任天堂の宮本茂氏が文化勲章を受章。「スーパーマリオ」誕生の裏話から生成AI時代の創作論,若き開発者への想いまでが語られた記者会見をレポート
任天堂宫本茂于2026年10月23日获颁文化勋章,其前一日在京都会见中谈及《超级马里奥兄弟》诞生幕后与生成AI时代创作论。他回顾1977年入社近50年,强调日本游戏产业强项在于UI设计严谨,并建议年轻创作者从零构思而非改造现有游戏。
2026年10月23日,今年度の文化勲章受章者が発表され,任天堂の代表取締役フェローである宮本 茂氏が受章することが明らかになった。
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文化勲章は,科学技術や芸術など文化の発展に関して顕著な功績を残した人物に授与される,最高峰の栄典だ。宮本氏は2019年に文化功労者に選出されており,今回はゲーム産業およびインタラクティブエンターテインメントの世界的発展に寄与した長年の功績が改めて高く評価された形となる。
この発表に先立つ10月22日,京都市の任天堂社内にて,宮本氏の文化勲章受章を受けての記者会見が開催され,報道陣に向けて受章の挨拶と質疑応答が行われた。本稿では,約1時間に及んだ宮本氏の会見をレポートしよう。
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登壇した宮本氏はまず,「こういうことになりまして,ものすごく照れくさい気持ちで,本当に光栄に思っています」と率直な心境を口にした。
そのうえで,「いつもお話しすることですが,ゲームは作家として1人で作っているものではなく,大勢の人たちと一緒に作っているものです。今回はそれを代表していただくつもりでいます」と述べ,ともにものづくりに励んできたスタッフや関係者への感謝を示した。
また,近年はゲーム開発にとどまらず,ユニバーサル・スタジオのテーマパーク展開や映画制作など,他ジャンルのプロフェッショナルとの仕事に数多く取り組んでいることに言及。1977年に任天堂へ入社し,その直後に流行し始めたビデオゲームの仕事に携わるようになった。そこから数えてもうすぐ50年という節目を迎えることを振り返り,「50年前の,本当に形があるかどうかも分からないようなメディアからスタートして,こうした扱いを受けるようになったのはとてもラッキーな状況だと思います」と微笑んだ。
宮本 茂氏の半世紀の歩みと,これからのものづくり哲学
続いて行われた質疑応答では,ゲームと社会の関係性から「スーパーマリオブラザーズ」の発明,生成AIに対する考え方まで,多岐にわたるテーマについて宮本氏自身の言葉で語られた。
50年間で社会におけるゲームの立ち位置が大きく変化したことについて問われると,宮本氏は自身の幼少期の原体験を振り返る。子供のころ,正月になると家族でダイヤモンドゲームなどの盤上遊戯を出して遊んだ記憶を挙げ,「任天堂と生活の関わり方」に魅力を感じていたという。
ビデオゲームを作るようになってからも,ゲーム好きだけのためではなく,まだゲームに興味がない人にも触れてもらえるよう「リビングの中心にあってもおかしくないものを作り続けよう」と意識してきたことが,結果として他社との差別化につながったと語る。
かつてハードやプログラムが進化する過程でコントローラが複雑化し,「ゲームをする人としない人の壁」が生まれかけた時期には,初めて触る人でも直感的に遊べるシンプルな操作体系へと立ち返る試行錯誤を重ねてきた。
「26〜27歳ごろからゲームを作り始め,当時のプレイヤーが親になり,気がつくと自分がおじいさんになって,おじいさんの作ったゲームを孫が遊ぶようになった。この『親子3世代がゲームを知っている』という状況がものすごく大きくなり,社会との関わり方を変えたのだと思います」
また,かつてはIBMなどを中心とするコンピュータ業界が上位にあり,家電に近いゲームが下に見られる空気もあったが,20年,30年と経つうちにコンピュータ業界の人々もゲームで育った世代へと入れ替わり,デジタルを扱う仲間として垣根がなくなったと回顧する。
ニンテンドーDSやニンテンドー3DSの時代には,シャープと共同開発した教育システム「DSラーニング」や,(ニンテンドー3DSによる)ルーヴル美術館の音声・画像ガイドシステムなど,「世界で一番安いコンピュータ」として実用や教養の領域に挑んだエピソードも挙げ,スマートフォンの普及を経て「インタラクティブにコンピュータを使うこと自体が日常に溶け込み,ゲームとの境界線がなくなった良い時代になった」と語った。
宮本氏は,自身が集中してきたのは狭義のゲーム作りではなく,「自分が何かをすると反応が返ってきて,試行錯誤するうちに楽しい時間が過ぎていく」という「インタラクティブなメディア」そのものだったと明かす。
工業デザインを学んだ宮本氏にとって,3D CADのようなツールやルービックキューブもまた「最高のおもちゃ」であり,理想のインタラクティブ体験だったという。
そのうえで,日本のゲーム産業が社会に貢献できる最大の強みとして「ユーザインタフェース(UI)に対する真剣さ」を挙げた。
氏は「世の中でコンピュータのインタフェースを設計している人たちのなかで,ゲーム開発者ほど真剣にインタフェースを作っている人たちはいないと思っています。お客さんにとって分かりやすいか,思い通りに動かせるか,レスポンスはどうか,人間工学的にどうすれば間違えないか。そこに細かい神経を使ってデザインできる人材が育ってきたことが日本のゲーム産業の強み」だと話す。
トップダウンの押し付けではなく,使う人に寄り添って丁寧にものづくりができるデザイナーやエンジニアを一人でも増やしていくことが,ゲーム業界に限らずインタラクティブな世界を進化させるチャンスになると強調した。
世界中のファンに向けた今後の展望としては,近年力を入れている映画制作やテーマパーク「スーパー・ニンテンドー・ワールド」への想いが語られた。
実は以前,宮本氏は「映画は作らない」と公言していたという。その理由は,「映画のお話を作るためにキャラクターの性格や家族構成などを細かく設定してしまうと,次にまったく新しいゲームを作る際に不自由になるから」だった。
しかし,長年にわたりマリオやゼルダなどのタイトルを重ねるなかで,ゲームシステムだけでなくキャラクターそのものを深く愛してくれるファンが世界中にいることを実感するようになった。「キャラクターが大好きというだけでも任天堂のファンになってもらえる。それなら自分たちで作ろう」と決意し,映画やテーマパーク,モバイルなどを通じて,ゲームから生まれたキャラクターをより多くの人々へ届ける取り組みを進めていると明かした。
京都で働き続けてきたことへの想いを聞かれた宮本氏は,「工業デザインならイタリアや都会へ行くべきだと言われながらも,京都でマイペースにコツコツとものを作ってきた。40歳ごろに作品がグローバルに評価されるようになり,なぜ作れたのかと振り返ったとき,流行に流されず,一番“超ローカル”な自分自身と向き合ってじっくり作れた京都にいて良かったと感じた」と振り返る。
幼少期に山に登ったり川に入ったりと,豊かな自然のなかで身体に染み付いた物理的な体験が,国や文化を超えて世界中の人々に通じる感覚の土台になっているという。
また,自身のゲームデザインの歴史にも触れ,画面内のドットをすべて食べればクリアという目的が誰の目にも明快だった「パックマン」に対し,A地点からB地点への移動を目指す「ドンキーコング」では,目的を分かりやすく伝えるために「ゴリラ(ドンキーコング)が女の子をさらって逃げ,彼女を助けに行く」という構造を作った苦労を明かした。
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そこから「画面がずっとスクロールして,永遠に走っていけるゲームを作りたい」という発想で生まれたのが「スーパーマリオブラザーズ」だ。
「子供のころ,電車に乗って窓の外を見ながら,頭のなかで人を走らせたり川を飛び越えさせたりしていた共通体験をアクションにしました。地上を走るだけでなく,海も泳ぐし空も飛ぶという,みんながやってみたかったことを全部入れたのが発明だったのかもしれません。
そして一番大きな発明は,最後のクッパとは直接戦わずに『上を飛び越えて後ろの斧で橋を落とす』ことで,(制作が大変な戦闘をどうすべきか)悩んでいたことを解消できたこと」だと語り,制作当時の試行錯誤を振り返った。
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近年急速に発展する生成AIとゲーム文化についての質問に対し,宮本氏はタイプライターやワープロ,PCの登場によってデザインの現場が変化してきた歴史を引き合いに出し,「ものを作る(構成や意図を設計する)こと」と「作業をする(穴を埋めてきれいに仕上げる)こと」の違いを説いた。
「厄介なことに,作業というのはすごく楽しくて,作っている満足感があるんです。一番怖いのは,作業に満足してしまって『いいものができた』と思ってしまうことです。そういう意味では,AIがいろんな作業を肩代わりしてくれるようになればなるほど,『本当に作るとはどういうことか』『個人がどういう意図を持ってデザインするのか』をみんなが真剣に考えるようになります。そこまで進化しても,まだまだ我々にやるべきことは残っています」
また,若いゲームクリエイターへの心構えとして,「既存の面白かったゲームをベースにして,『こう改造したらもっと面白くなる』という作り方はやめてほしいと伝えています。誰かが作ったものを改造するより,大元の『こんなことをしてみたら面白いんじゃないか』という発想をゼロから作り上げていくほうが,きっと楽しいし仕事のやりがいがあります」とアドバイス。
プレイヤーが「次はどうなるだろう」と頭を使って試し,そこに心地よい反応が返ってくることで,遊ぶ人のなかに自分だけの物語や思い出が広がっていく――そんなインタラクティブの原点を大切にしてほしいと語った。
会見の最後,50年の歩みのなかで影響を受けた人物について問われると,宮本氏は元社長の山内 溥氏と,先輩である横井軍平氏の名前を挙げた。
目の前にあるものをどうすれば面白くなるか徹底的に考え抜く横井氏の姿勢と,「お前らは喧嘩が弱いんだから,ほかと同じことではなく独創性を重視しろ」と独自の路線を求めた山内氏の視点は「本当に欠かせないものだった」と振り返り,さらに糸井重里氏らとの交流からも大きな刺激を受けたと語った。
かつて漫画家を志していた宮本氏は,漫画というメディアを切り拓いた第一世代の巨匠たちが,晩年に至るまで自ら漫画のあり方を変革し続けた姿に強い感銘を受けたという。
「最初に作った人が変えていかないと,あとから入った人が変えるのはなかなか勇気がいるものです。そういう意味では,僕もゲームを作り始めた最初の世代なので,僕らが積極的に変えていかないと,あとから入った人たちがやりにくくなると思っています。今も遊び手と同じように遊びながら作っているので,意欲のある間はいろんなことを探していきたいですね」と力強く語り,記者会見を締めくくった。
来源:4Gamer.net · 4gamer.net










