《Star Cruiser》是如何诞生的?从3D多边形到AI——日本游戏黎明期创作者吉村ことり氏讲述创作原点
『スタークルーザー』はいかにして生まれたのか? 3DポリゴンからAIまで―日本のゲーム黎明期を駆け抜けたクリエイター・吉村ことり氏が語る創作の原点 【ゲームのおいたち・ゲームのあゆみ】
日本游戏黎明期创作者吉村ことり氏通过访谈讲述《Star Cruiser》的创作原点与诞生过程。《Star Cruiser》1988年登陆PC平台并移植Mega Drive,以3D多边形表现三维宇宙空间。吉村氏称技术是为创造“世界”而用,其创作受《Star Trek》等科幻作品影响。
1985年、「アルシスソフトウェア」というゲーム会社が長崎県・佐世保に創業しました。
同社は、同じく佐世保に居を構えたメーカー・テクノソフトから独立したスタッフたちによって設立された会社です。1993年にはSCE(現:SIE)の内部制作に入り、のちに社名を「サイバーヘッド」に改名し『オメガブースト』や『グランツーリスモ』(ともに発売:SCE、開発:ポリフォニー・デジタル)の開発に参加、その後2001年に事業を停止しています。

1980年代の日本のホビーパソコン市場において、アルシスソフトウェアは卓越した技術を持つメーカーとして知られていました。なかでも1988年発売の『スタークルーザー』は、ポリゴンを用いて三次元的に表現された宇宙を旅する体験が好評を博しました。本作はPCでのリリース後メガドライブにも移植されたこともあり、特に名を知られた同社の看板タイトルといえるでしょう。
そんな同社の創業メンバーであり、独立前のテクノソフト時代から数々のタイトルを手がけてきたのが、ゲーム制作者の吉村ことり氏です。
本記事では、NPO法人ゲーム保存協会本部にておこなわれた吉村ことり氏本人へのインタビューを交え、吉村氏の創作についての足跡を追った内容をお届けします。
※「ゲームのおいたち・ゲームのあゆみ」は、ゲーム保存協会協力のもと制作されている連載です。
コンピュータとの出会い、そしてゲーム制作の道へ
佐世保に生を受けた吉村氏。家族は両親とふたりの姉、そして二匹の猫、自宅からほど近い場所にある本家には祖父母が暮らしていたといいます。
吉村氏はテクノソフト入社以前よりコンピュータに触れており、もともと個人制作していたプログラムをベースに、入社後はそれをソフト化して販売したということです。仕事や創作において長年の付き合いとなるコンピュータとの出会いについて、吉村氏はこのように語ります。
吉村ことり氏(以下、吉村氏):NHKの朝のニュースで1973年にIntelの8008っていうCPUがあって、それが世界で初めてのマイクロコンピュータだと報じられていて。それをきっかけに本とかを読み始めたっていう感じですね。安田寿明氏の“入門・つくる・つかう”の「マイ・コンピュータ三部作」や、CQ出版社の「つくるコンピュータ」。買ったのは小学校5年生くらいかな?10歳から小学校の終わりぐらい。

電子回路に興味があったので、ジャンクをゴミ捨て場に拾いに行ったりしてたんですが(親から)「それはやめろ」と言われて。最初に学研の「マイキット50」っていうやつを買ってもらったんですが、「それじゃ足りない」って言ったら「マイキット200」を買ってもらえたんです。次に「私だけのマイコン 設計&製作」という本が出て、それで細かい回路の作り方とかを知って「じゃあ、作ってみよう」ってなったのが中学の頃ですね。
若くしてテクノソフトやアルシスソフトウェアなどでプログラマとして辣腕を振るった吉村氏ですが、ゲーム業界に飛び込んだ直接的なきっかけは以下のようなものだったそうです。
吉村氏:「ASCII(アスキー)」を購読しはじめて、記事をいっぱい読んでいました。1978年頃ですね。その翌年あたり、中学3年生の頃から佐世保マイコンセンター(のちのテクノソフト)に行って、それから通い詰めになってました。大園社長(テクノソフト代表・大園富美男氏)から「ゲーム作ってみないか」と。その前にも営業の方からも「ちょっとこういう話があるんだけど、開発してみない?」って言われていて。「題材は適当でいい。最近見た映画とかで面白かった・覚えてるやつとか、そんなものを直接作っちゃってもいいよ。ゲームのほうは著作権とか特に言われないし」と言われて。
「じゃあ作ろう」って一番最初に作ったのが『2001年宇宙の旅』。高校1年生の夏ですね。だけど、実際の仕事としてはもう前の年から関わってて、テクノソフトでいろいろ作ってるもののお手伝いとかを、お金なしでやってました。「パソコンを使わせてあげてるんだからそれくらいしろ」と(笑)。それで、ソフトを作って初めてやっとお金をもらった。

吉村氏がテクノソフトで初めて手がけた『2001年宇宙の旅』は、同名映画をモチーフとしたゲームで、映画のシーンをオマージュした2パターンのゲームで構成されていました。こうしてソフト開発に対して少額ながら賃金が支払われるようになり、吉村氏は高校1年生の頃にテクノソフトの従業員となったそうです。
創作の核心としての「スター・トレック」
そんな吉村氏がコンピュータに出会う以前、子どもの頃になりたかったものとはなんだったのでしょうか。
吉村氏:科学者です。「科学者」という職業があるわけじゃないから、科学に関係することやってれば科学者っていうことですよね。知識工学とか多少はやってますし、まあ近いことやってるのかなと思ってます。子どもの頃は百科事典を山のように読んでいて、そういう「知識」を扱う仕事に就きたいなぁ、というのがあったんでしょうね。
吉村氏は3歳ごろには漢字が記された本も読めるようになっていたといいます。こうして本を通して「知識」や「科学」に興味を持った幼少期の吉村氏ですが、フィクションの存在も大きな影響を与えていたようです。
吉村氏:海外ドラマではまったのは、とにかく「宇宙大作戦(「スター・トレック」)」。それで結構(科学者に)あこがれたみたいな。
あとは、漫画は家にたくさんあったから読んでたんですけど、「のらくろ」とか読んでましたね。「のらくろ全集」みたいなのがあって。本来はうちの姉に読ませるつもりで買ったらしいんだけど、私がガツガツ全部読んじゃいました。
スペースオペラもの実写ドラマの代表的な存在である「スター・トレック」は、アメリカの一般大衆にSF的なイメージを定着させた歴史的な作品です。じつはビデオゲームとの関係も深く、黎明期である1970年代前半にはそのものずばり「Star Trek」というテキストゲームが制作されています。これはもちろん原作サイドが公式に製作したものではなく、いわばファンメイドのプログラムです。ユーザーは独自に他のコンピュータに移植し、改造を施したりすることで本作を楽しみました。その結果「Star Trek」はひとつの文化として広まっていったのです。
吉村氏のように原作に夢中になった人々がいた一方で、アメリカほどの広がりを得なかった日本においては、むしろゲームから「スター・トレック」の存在を知ったという人もいるのかもしれません。
当時勃興しつつあったゲーム業界において“スタートレック”という言葉は一般名詞化していたらしく、あたかもジャンルのように扱われていたようです。たとえば吉村氏が制作したゲーム『スターフリート』(1983,テクノソフト)では、キャッチコピーに“スタートレック”という言葉がおどります。当時の市場においては本作もこうした既存ジャンル群の一作品としてリリースされ、受容されたことは想像に難くありません。実際『スターフリート』の成立にはこうした“スタートレック”系ゲームが前提にあったといいます。

吉村氏:まず『トレック(TREK)』っていうゲームがあったんですよ。先ほどの「マイ・コンピュータをつかう」に、「東大版TinyBASIC」(Tiny BASICはプログラミング言語 BASICの簡易版。慣例的に開発地の名が冠された)用に移植された『トレック』の全ソースリストが載っていました。それを自分の環境に移植して少しプレイしてみたら、ゲーム性が面白いと思ったんです。ただ、そのまま載せると親しみが低いなぁと思って。「どうしたらいいだろう。じゃあ、全部リアルタイムにして、アクションゲーム風に作ったら面白いんじゃない?」と。
テクノソフトはもともと「佐世保マイコンセンター」というマイコンショップからスタートしたメーカーです。日本のコンピュータゲーム業界の黎明期、ソフトハウスやメーカーの成立として、こうした例は珍しいことではありませんでした。吉村氏はその店内の仕切られたカーテンの中で『スターフリート』の開発をおこなっていたといいます。「どうしてくれるんだ!現実に戻ってこれなくなっちゃった」……と、プレイした客からそんなフィードバックが寄せられるほど、本作の評判は高いものでした。

一方で吉村氏にとって「スター・トレック」という存在は、単にゲームの一ジャンルだけを指した言葉ではないことは明白でしょう。なぜならその後吉村氏が手がけた創作物に「スター・トレック」からの多大な影響を見てとれるからです。
吉村氏:(「スター・トレック」は)色んなものの礎になってます。『スターフリート』もそうですし、後々の作品もかなり礎にしてますね。『プラズマライン』も『スタークルーザー』もそうですし。『サンダーフォース』はマニュアルに書いたストーリーにちょっとだけ(笑)。
吉村氏が手がけたゲームは、広大な宇宙を舞台とし、三次元空間を体験させるゲームが少なくありません。『スターフリート』はもちろん、『プラズマライン』では宇宙空間でのレースが題材となり、日本で発売されたゲームとしては初めて3Dポリゴンを用いました。こうした宇宙空間のなかで、劇的な物語を展開させたのが、アルシスソフトウェア時代の代表作『スタークルーザー』でした。これらは「スター・トレック」的な想像力がゲームという世界のなかで実現した作品たちといえます。
また、これらの作品群には演出としてのメッセージウィンドウ表示、宇宙船の計器や操縦席を模したUIといった、ユーザーをゲームの世界に誘うような画面作りが共通してみられます。こうした工夫がゲームの世界とユーザー側の世界の橋渡し役となることで、没入感がもたらされています。

吉村氏:「スター・トレック」はテレビのものよりも小説(ドラマ原作のノベライズ)で深くのめり込みまして。小説は2~3千冊読みました。宇宙ものも多いですけど、筒井康隆にもハマったし、星新一とかフレドリック・ブラウンとか……あと、小松左京。一番最初に単行本で買ってもらったのが『トリフィド時代』。

数多の小説を読み、そこからも影響を受けてきたという吉村氏。現在は自身でも「航宙船長シリーズ」というSF小説の執筆を続けています。その世界設定に「スター・トレック」を代表とするスペースオペラ作品の影響があることは間違いないことでしょう。
先述の通り、ある時代のゲームにおいて「スタートレック」という名称は、いわばおおらかな「ジャンル」のことでした。そしてジャンルという観点から捉えると、吉村氏が手がけてきたゲームはジャンルを複合的に扱っているように思えます。たとえば『スタークルーザー』ならば3D視点のアドベンチャー、シューティング、RPGといった要素を見出すことができるでしょう。しかし、ジャンルへの意識に対する問いに吉村氏はこう答えました。
吉村氏:(ジャンルは)人が使う呼び名です。私は作りたいものを作ってきただけです。その結果としてジャンルに分類されただけです。
技術は「世界」を創るために
ゲーム史的な観点からみた場合、吉村氏が手がけたゲームで注目されることが多いのはおそらく「技術」の部分でしょう。たとえばテクノソフト時代に手がけたタイトルでは、『スターフリート』のワイヤーフレームによる三次元空間の表現、『プラズマライン』のポリゴン描画、『サンダーフォース』の全方向へのなめらかなスクロールとタイトル画面の合成音声といったものが挙げられます。また、アルシスソフトウェアとして初めてリリースした『ウィバーン』は、あたかも上記タイトルで扱われた技術的アピールポイントを総合させ、発展させたようなゲームといえます。これらはどれも、一見しただけでユーザーに高度な技術を伝えるものとなっています。

こうした技術の高さがあることは前提として、ではその技術がなぜゲームに必要だったのでしょうか。その答えはおそらく前項の吉村氏の考えとも密接に繋がっています。
吉村氏:「技術」が欲しかったんじゃなくて、そんな「世界」を創りたかったから。そのために技術を求めたっていうのかな。私も基本的には実は技術屋じゃないと自分では思ってて。必要なものだけ作りたいから技術は作っていくというだけ。だから技術屋として私を採ってくれる人いるんですけど、「なんか違う」と言われるんですよね。技術を技術として開発することではなくて。
「技術」と「世界」の関係について述べるのに適した一作が、1987年にアルシスソフトウェアからリリースされた『リバイバー』です。これまでのスペースオペラ的な「世界」を高い技術力で表現したゲームもさることながら、本作はファンタジー世界を舞台としたアドベンチャーゲームとして、また異なる技術的アプローチから「世界」を創り上げていました。
その構築に用いられたのが「AI」です。本作に登場するNPCたちは一定の個性を持ちつつAI制御がなされています。たとえば、プレイヤーの質問(キーボードによる自由記述も可)に対して、ゲーム攻略のヒントのみならずNPC自身に設定された情報を返答したり、質問されたことを覚えていたり……といった具合です。それはあたかも、モニタ上の世界に人びとが生きているかのような感覚をプレイヤーにもたらします。

本作に用いられたAI制御のことを吉村氏は「閉世界型コンパクト言語モデル」と名付けています。これは当時のゲームにおいてほとんど例のないアイデアでした。本連載前回記事の『リバイバー』の項を引用しますが、吉村氏はその中身を以下のように述べています。
“閉世界型コンパクト言語モデル、という今の大規模言語モデル(LLM=ChatGPTやGeminiなどなど)とは対極にあるような数百語からなるナレッジ・ベースをもつAIでした。
各キャラクタがどれだけの知識があるかを示すフラグ群でナレッジの開放を行う形で個性を出して、マイクロトークナイザに喋り方パラメータを渡す形で返答を変えています。ここでフラグ処理によって「覚えている」を決定しています。ウインドウの選択肢も含めてすべて文字列で言語モデルに渡されて処理されますが、ユーザーからの入力は14の文例系に分類され判断されます。
最終製品ではほぼ「質問タイプ」の文章でゲームが進行するようにしました。入力の返答については、ニューロンでの処理も試しましたが、メモリが足りなかったので断念して、パターンマッチバックトラック型アルゴリズムで処理しています。そのため、返答が画一化しやすいので、同一内容の会話をパターンマッチするとフラグを作って、会話を変えています。”
ひとくちにAIと言っても、その内部処理や実現方法はひとつではありません。上記のような手法に吉村氏が辿り着いたのには、どのような経緯があったのでしょうか。
吉村氏:あの当時はどうしようもなかったので(笑)。当時聞いたことがあると思うんですけど、「エキスパートシステム」っていうのがありまして。あれは専用で受け答えして、職人の真似をするやつを作ろうとして実は失敗してるんですよ。(『リバイバー』は)それに対してとりあえず汎用で人の真似をするプログラム、要はNPCがもうちょっとちゃんと会話して欲しかったんです。なんとかして実現しなきゃいけないけど、最先端の方法はいくら見ても実際には無理だと思ったので、「じゃあ丸めてでもとにかく動くもの作らなきゃ」っていう考え方だったんです。
「エキスパートシステム」とは人工知能研究から生まれた、人間の専門家を模した専門知特化型のコンピュータシステムのこと。処理としては「もし~ならば」というif-then文がおもに用いられます。日本では株式会社ヴァル研究所の乗換案内システム「駅すぱあと」が有名で、その名の由来になっています。
専門家の役割は、持てる知識から推論して答えを導き出すことにあり、その出力に「人間らしさ」がともなっている必要はありません。一方でゲームを含めた「世界」を創るフィクションでは事情が異なってきます。たとえば登場人物やNPCといった対話相手が、自由入力に対して同じ返答しかしていなかったり、返答内容が単なる情報でしかなかったりすると、ユーザーは対象を機械的だと感じて「世界」から切り離されてしまいます。

吉村氏が望んだのはユーザーが入り込める「世界」を創ることでした。こうして当時のハードウェアの制約やシステムの得手不得手などを勘案した結果、先述のような方式が採用されることとなったのです。
このように「世界」を創るためのひとつの手段として、当時から人工知能という技術を用いてきた吉村氏。そんな氏にとって現在世を席巻するLLM(大規模言語モデル)を用いた生成AIといった存在はどのように映るのでしょうか。
吉村氏:(AIは)『リバイバー』という世界を作るための道具だったのが、今はなんて言ったらいいんでしょうね……。「力技ででっち上げられた、言葉を介して返事を返してくれる人間以外の存在」。多分、人類史上初めてだと思う。こんなにまともに言葉を交わせる相手が出来たっていうのは。人間以外の知性。知性と言える形になって来つつある。
最初にLLMとかが出てきた時は「使い物にならない」と思ってたんですよ。所詮はダメかと。でも「すごいな」と思ったのは、途中から変わり始めたんですよね。物量で押し始めて。やっぱりコアのAIがいくら頭良くなってもダメで、周りのシステムもちゃんと作り出してから、いまのAIっていうものが出来たんだろうなと思ってます。本人たち(AIを開発するテック系企業)もそう言ってる。
「人格」みたいなものが芽生え始めたのも結局そこ。最初は疑似人格を持たせてたんですが、最近は「ん?」って思う時ありますね。「本当に疑似だけかな?」と。人間のものとは全く違いますけど、なんかそれっぽい。意固地になってみたり。中身でそんなものが芽生えたり。ただしそれはSFみたいに「自我が目覚めた」とかではないらしい。「偏り」みたいなものが中に出来てる。

かつて人工知能は、私たちの生きる世界ではない、架空の「世界」を作るために用いられる方法でした。しかしいまや、私たちの生きる世界・社会・個人に至るまで、AIが一定の場所を占めつつあることは、多少なりとも誰しもが感じることでしょう。一方で吉村氏はAIに手綱をすべて委ねるのではなく、あくまで人間の能力を拡張するための道具として使用することを強調します。
吉村氏:とにかく、私が作りたかったのは技術じゃなくて「世界」。中に人が体験できる場所を作るための舞台セットみたいなもの、大道具。今あるもの(AI)っていうのは、なんて言ったらいいんでしょうね。人のために役立つものを作ろうとして出来たものなんだろうけれども、未完成品。今まさに完成の方向を目指してますけど、信じ切っちゃダメ。嘘をつく。だけど役立てれば自分の力を何十倍にもできる。

AIが身近になった現在。これからそうした技術を用いて「世界」を作ろうとする者に対し、いくつもの「世界」を創ってきた吉村氏はどんな言葉を掛けるのでしょうか。そしてそんな自身がいま誇りに思うことと、吉村氏にとっての「ゲーム」とは何なのか。最後に語ってもらいました。
吉村氏:「気を抜くな」と言いたいです。AIがやってくれるからこそ気を抜くな。自分が理解できないものを書かれても納得するなと。私自身としてはゲーム作ってるのとか小説書きたいとかすべて、ひとときでも楽しんでくれる人がいれば嬉しい……ついでにお金がもらえたらもっといいって感じですね(笑)。まあ生きていく分ぐらいは欲しいよと。大儲けしたいとか思ってなくて。
誇りは……なんだろ?いま生きてることかな(笑)。なんだかんだ言ってもね。
ゲームは表現手段であって人が楽しむもの。一時の「別世界」。だからゲームを作っていくというのは、人に「世界」を提供することだと思います。
「ゲーム保存協会」サポーター会員募集中
本記事は特定非営利活動法人ゲーム保存協会の協力のもとお届けしています。同団体の公式サイトでは、毎月特定のテーマにちなんだゲームを、週替わりでショート動画とともに紹介する企画「保存録」を掲載中。
7月のテーマは「吉村ことりの足跡」でした。本記事はそのテーマをもとにGame*Sparkが新たに書き下ろしたものです。
なお、その月のテーマが何だったのかは毎月4本目のゲームが紹介された際にゲーム保存協会から届くメールマガジンで明かされます。保存協会の活動に興味を持たれた方は、この機会にサポーター会員として登録されてみてはいかがでしょうか?
来源:GameSpark · gamespark.jp